2018.08.22
インターネットの発達によって産業構造が大きく変化している時代の中で、経営に求められるものも同様に大きく変わってきています。 そんな中、注目を集める次世代経営者の方々はどのような考えでイノベーションを起こそうと努力されているのでしょうか。
2017年12月に北海道帯広市にて開催を致しました「ファームノートサミット2017 Winter」にて、有限会社一平(九州パンケーキ)村岡代表と株式会社BAKE 長沼会長にそのお考えや目指すビジョンについてお話を伺ったパネルディスカッションです。
有限会社一平 代表取締役 村岡 浩司 氏
株式会社BAKE 会長 長沼 真太郎 氏
株式会社ファームノートホールディングス
代表取締役 小林 晋也
<村岡氏>
実はそうなんですよ。学生をしながら、アンティークの家具を買い付けたり、車の輸出をやったり、当時ビンテージのジーンズとか流行ってて、バイヤーやったり。アメリカンカジュアルのブームに乗って色々やってたんですけど途中からうまくいかなくって。
結局その会社は失敗して、借金を抱えたまま廃業することになりました。28歳の時です。当時は父も元気だったので、頭を丸坊主にして土下座して、助けてもらいました。「すいません、弟子入りさせてください」なんて言ってこっぴどく怒られて、そこから3〜4年間は寿司屋ですね。ずっと板場に入って、包丁握っていました。
そのうち寿司屋稼業も板についてくると、郊外に回転寿司とか、フェミリーレストランとかがたくさん進出してくるようになる時代背景もあって、このままでは大変だろうなという危機感を抱くようになりました。そんな中で、タリーズコーヒーというシアトル発祥のコーヒーショップをフランチャイズではじめました。
当時はまだ東京ローカルで20〜30店舗あるだけのブランドだったんですけど、地方展開するときのフランチャイズに僕が手上げて第1号企業として契約することになって。それが15年前ですね。それでフランチャイズの勉強なんかも実戦で学んできたという感じですね。
紆余曲折ありましたが、色々と時代の変化の中で事業形態を変えながら今に至る感じで、この九州パンケーキというのは5年前からスタートし、いま会社を支える主力の柱に育ててきたっていう感じです。
<長沼氏>
ちなみになんでお寿司屋さんからタリーズになったんですか?
<村岡氏>
今振り返ると、僕は20代で事業を失敗して寿司屋になったじゃないですか。28歳で板場に入って30歳過ぎまでやってきた中で「自分はこんなもんじゃない」「まだやれるぞ」っていうのを、証明したかったんだと思うんですよね。きっとね。
10代の後半から20代をアメリカで過ごしていて、当時のスペシャルティコーヒーブームはすごかったんですよね。西海岸のシアトルからスタートして、5〜6年で全米を席巻していく様子を見ていたので「こういうビジネスはいいな」と思って参入を決めたんですよね。
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